移住に至るまで【お金の仕組みへの違和感】
さて、前回は都心住まいになったところまででした。
都心に住み始めたものは良いものの、
まだまだ、起ち上げ間もないベンチャー企業、
給料はそんなに良くはありません。
週末には六本木のバーでアルバイトをしていた程です。
もっとも、僕は歴史とか、落語とか、寺社仏閣など
昔の物が好きでしたので、
東京を堪能するというよりは、
江戸を探し求めて 江戸三十三観音霊場巡りや、
落語の舞台(芝浜とか目黒とか)、幕末の歴史探訪などにはまっておりました。
なんせ自転車で走り回っていました。
お金に余裕がないから、お金の掛からない事ばかりしてました。
そもそも僕は、煌びやかな都会生活には合わなかったのかもしれません。
都心に住み、ある程度の東京を味わい、
都会を離れることを考えていたのかもしれません。
少し話は変わりますが、
僕が起ち上げに加わった会社は外国為替に関わる情報通信社です。
外国為替というのはいわゆる投資。
投資というと、チャートを見て、テクニカル指標を覚えて、
ファンダメンタルズ分析やマクロ経済などと色々と覚えました。
金融や投資を学んでおりますと、経済というものにたどり着きます。
経済を学んでいると、必ずやその背景にある政治にたどり着きます。
僕は投資というものを学んでいたにもかかわらず、
昭和の歴史、お金の仕組み、成り立ち、
政治の世界や、表に見えない社会システムなど、
金融や投資のもっと内側にあるものにひかれていきました。
そうなると、宗教的な物にも興味がわいてきます。
金融を取り巻く環境、お金の内側にあるもの。
そこを知れば知るほどに違和感を感じ始めました。
2006年に起ち上げに加わり、
2007年に都心暮らしをはじめ、
投資銀行、ベア・スターンズの破綻がありました。
いわゆるサブプライムローン問題、
この頃はまだ何も気づきません。
2008年、仕組みを作るものと、そうではないもの、
色々な疑問の答えを見つけたく、
大前研一氏創設の社会起業塾、一新塾に入塾しました。
その直後にリーマンショックがありました。
これもサブプライムローン問題なのですが、
クレジット・デフォルト・スワップ CDS取引という、
合成債務担保証券などのデリバティブ商品の取引の問題、
レバレッジを掛けた取引、いわゆる信用取引というもの
100万円に対して、レバレッジ100倍ならば
1億円の取引ができる。
存在しないお金で、お金を増やす、
やはり、何かがおかしいのではないかと感じ始めました。
2009年、同社の代表から
「国政選挙に出たいのだけどいいか??」と相談を受けました。
岐阜からの出馬でした。選挙応援に行き、
さらに地方を感じ始めます。
その後、同社の代表は、現在も衆議院議員です。
同年、豚インフルエンザが流行り、
海外のテレビ含めメディアは連日「パンデミック」との報道、
タミフル製造会社スイスのロシュ社、株価高騰
米ゴールドマンサックスの高値売り抜け
凄く、何とも言えない違和感を感じました。
と、同時に都市機能の弱い部分が見えました。
コンクリートジャングルはウィルスには弱い。
そして、一新塾では社会起業のお試しの課題が課せられました。
出会った仲間たちと、
ecoな婚活「ecoコン」というのをはじめることにしました。
山の中で間伐をしながら、合コンをするという、
いわゆる婚活の走りでした。
2009年以降、そこから山梨へ通い始めます。
そこで、多くの仲間にも出会いました。
その中の一人、僕が今もって尊敬している先輩に出会いました。
そこから、僕の移住熱は一気に高まりました。
またしても長くなりましたので、次回。
新しくなる前の旧議員会館にて、同社代表の目を盗んで(笑)
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