ヒノキのかみかみ棒
ここ最近、大変ありがたいことに、
ひそかに人気のあるひのきの棒…
噛むのが大好きなワンコはもちろん、
噛んで壊したい、いたずら好きな子、
歯がむず痒い、歯の生え変わりの1~2歳の子。
はたまた、僕も驚きでしたが、
オウム?インコ?
鳥さんにもちょうどいいとの事で、
幅広いニーズがあるわけでございます。
さてさて、ひのきの棒作りました!!的な投稿かと思いきや、
そうではなくて、大変申し訳ないのですが、
先日、単なるひのきの棒と言ったら、語弊があるのですが、
つっても、あのドラクエで最弱の武器であるひのきの棒が
驚きのお値段で売っているサイトを見つけまして、
驚き過ぎたものですからw
僕が何でひのきの棒を作り始めたのか…
なんて事を本日は少々。
以前にもチラッと書いたのですが、
僕が地方に目が向いた最初のきっかけは
ズバリ『水』なんです。
で、水を作るのは『山』
そんなことから山に目が向き始めました。
だったら山師になっていれば…
なんて話ですが、それはさておき、
そんなこんなで、いろんなご縁がありまして、
実は未だに、山をお借りしているんです。
借りるというか、
間伐の手を入れられていないから、
手を入れてくれるじゃ、伐った木も好きなように使っていいよ。
ってな感じで、ゆる~くお借りしております。
で、そこで、
間伐した木や、その枝、
はたまた間伐した後にはえてきたものだったり、
そんな木を、権太だけでは使い切れないわけですから、
それを皮をはいで、
少しやすりをかけて、作っておりました。
特段、大きな活動な訳でもないので、
そんな大きな声で、間伐材を活用しています!!
みたいな事は言ってきませんでしたが、
少しずつでも、山の現状を知るきっかけ程度になれば…
話のきっかけにでもなれば…
といった感じでしょうか。
よく、台風のニュースとかで
土砂崩れになった映像とか出ますよね。
あれって、全部が全部ではないですが、
圧倒的に針葉樹の所が多いんです。
そもそも第二次世界大戦って、
エネルギー問題から始まっているわけで、
終戦間近の日本なんてのは、
木炭でバスが走っていたと聞きます。
もちろん日常の煮炊きでも、
薪や炭が多用されていた。
さらに、戦争が終わって、戦後の復興の際に、
焼け野原に、新たに家を作るのに、木材を大量に使ったわけで、
それはそれは、その頃というのは、はげ山が多かったそうでございます。
そんなことで、山には衣食住の、
「住」環境を作るための針葉樹が大量に植えられたわけですね。
さらに、所得倍増計画の林業者に対する施策としても、
植林という事がすすめられたそうでございます。
しかしながら、その後、
外材が国内に大量に入るようになり、
また、木造建築以外の建物も増えたことにより、
山はどんどんと忘れ去られていきます。
その後、現代に至り、
山は忘れられたまま。
放置林というものが大変増えました。
本来、山では、1ヘクタールに3,000本の苗木を植えたそうです。
100m×100mで1ヘクタールですね。
で、それが成木になるころには600本
つまり、5分の1までに間伐をしながら育てる。
しかし、山が放置されたことによって、
本来切るべき5分の4がそのままになってしまった。
それにより針葉樹が山の栄養分を取り合い、
植え過ぎた木が大きくなることによって、
山の中に光は差し込まず、
本来、はえるべき下草や低層木なども生えず、
結果、獣たちの餌が無くなり、獣たちは里に下りてきた。
はい。
長くなりましたが、戻ってきましたよw
ここまでお読みいただいた方。
本当にありがとうございます。
そんなことで、あのひのきの棒は、
僕が山と離れないためのものでもあるんですね。
実はそんな思い入れがあるんですw
正直に言うと、僕は獣たちをどうこうしたい。
というよりも、山を本来の山に戻したいというのが夢なんです。
あるべき姿の本来の山に戻る。
その、スタートラインを作る。
山づくりは200年といわれます。
僕たちの世代だけでどうこうはできません。
しかし、そういう方向性に向かうことまではできるのではないかと思っております。
で、冒頭のすっごくお高いひのきのぼう。
山を稼げるようにすることはもちろん大事ですが、
ちょっと、それはボリ過ぎじゃね?
というのが本音でございますw
ちゃんちゃん♪というお話でございますw
そんな感じで、しょっちゅう山に入れるわけではないので、
当社製造の『ヒノキのかみかみ棒』はしばしお待ちをw
僕的には「ひのきのBOW」 にしたかったんですけどねw
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