移住に至るまで【金融と一次産業】
さて、前回はecoコンのことまで書きました。
今回くらいには移住まで行けるでしょうか…
前回はecoコンで山梨に通い、
都内と山梨の行ったり来たりをしていた
という所までですね。
月一回から月二回、週一回と、
山梨へ通う頻度はどんどん短くなりました。
そんなecoコンの活動をしておりますと、
さとまるLLPという有限責任事業組合のメンバーたちと出会います。
世界三大コンサル出身で自然エネルギー事業の会社を起業した者2名、
農業の資材などを扱い、生物に関するオタクと言わんばかりのプロ、
コアはこの3名でした。
この3名の行動力と言ったら、本当にすごいものがありました。
それゆえ、そこには色々なメンバーが集いました。
本当に多岐に及んでいました。
コンサル出身者が多かったのですが、
既に独立している者、これから独立したい者、
皆、当時は20代~30代、
今となっては、それぞれがそれぞれのフィールドで活躍しております。
そんなメンバーたちと話し合っていたのは、
都会に依存しすぎる状態を危惧したものでした。
都会というのは何でも買えるという便利である一方、
買うものが無くなってしまえば、存続することが出来ない。
人口が過密すぎて、自然災害などがあった場合に、弱い。
それゆえ、各地、地方のフィールドを増やしていこう。
そんな感じで、都会と地方の共存できることを模索しておりました。
その、コアメンバーの一人とともに、
僕は色々なところに連れて行ってもらいました。
長野、千葉、岩手、島根、岡山、新潟…
本当に色々な地方を見ました。
色々な地域の人、地元の人、移住者、たくさん会いました。
しかし、根っこにあること。
それは皆が皆、同様の感覚でした。
物を生産することの重要性、
自らが何かを生み出すという事の力、
自然との共生…
僕がいた業界は金融という
お金でお金を売り買いする世界、
たしかにこのシステムも重要です。
とはいえ、僕がそこにいる必要はない。
僕がすべきこと…
何かを生み出したい…
そんなことで、ecoコンをやっていた山梨への移住を決意しました。
そこからは必死でした。
本業ではベンチャーゆえ、僕が一人営業部長だったため、
退職に向けて、決めました。バシバシ決めました。
そして、僕がいなくても大丈夫という売上げになり、
金融の世界を退職をしました。
山梨に移住するにあたり、
総務省の地域おこし協力隊という制度を使いました。
当時はまだ、全国で200名程、
行政にもその制度を知っている人と、知らない人、
知らない人の方が殆どでした。
現在では全国で5,000名位いるらしいですが、
当時は本当に走りでした。
それゆえ、当時、僕から山梨県庁へ、
そして、甲州市と山梨市へ制度採用の提案に行き、
甲州市で協力隊制度の活用を決定してもらいました。
とはいえ、地域おこし協力隊の任期は3年、
4年目からは自立していなければなりません。
しかし、当時は独身、
29歳と若さも勢いもありました。
何とかなるだろう。
そんな感じでした。
移住って、正直に言うと
勢い。
いま、振り返ってみても、
それに尽きると思いますね。
ちょっと、他に書きたいことがあるので
移住に至るまで…
強引に閉じちゃいますが、
震災もあったりと、その前後の話はまた後日。
岩手県遠野の馬搬の馬サムライキング
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