取材や見学に関して
大変ありがたいことに、 ここ最近、取材ですとか、見学のご依頼を頂くことが増えてきました。
当社の取組には、シカの捕獲、有害鳥獣駆除、すなわち殺生という事柄がございます。
大変、恐縮ながら 殺生というものはエンターテイメントでもショーでもございません。
当社では、殺生という行為は 自慢するものでもなければ、
見せびらかしたりするものではないと考えています。
一つの命を頂くという行為です。
ただ『シカ』と、ひとくくりにするのではなく、
その、一頭一頭に生きてきた『シカ』の『生』があります。
その『生』を終える『死』の瞬間を、 一般的に広く遍く見せる必要はないと思っています。
しかし、伝えることは必要だと思っております。
お伝えすることは致します。
お伝えすることはむしろ責務であると思っております。
ただ、現場、 特に狩猟現場を直接お見せすることは基本的に致しません。
私自身、広く公開することに必要性を感じておりません。
殺生が見たいのであれば、そのようなYoutube動画とか
世にいっぱい溢れているので、そちらをご覧ください。
当方を、見ることが必要な方にはお見せいたします。
職業的な観点、もしくは私が必要だと感じた場合のみに限らせて頂きます。
もちろん、行政的に必要な場合はこの限りではございません。
偉そうで恐縮ではございますが、
私自身、都内での前職では、記事というものをリアルタイム配信したり、
拙いものではありましたが、雑誌の連載などもさせて頂きました。
書き手と読み手 見せる側と見る側 というものを常に意識するように指導されてまいりました。
見せる側の観点として、
『死』を見せることは、見せる方の自己満足でしかないかと存じます。
もちろん、専門的な方など、この限りではないことも多々ございますが…
私はこの仕事をして、
鬼と仏 ということを度々、意識する事が増えました。
人間の中には誰しも多くの方の、心と頭の中に 鬼と仏が内在していると思います。
鬼があるがゆえ、
ネットでの批判、誹謗中傷、炎上、
世の中の正義のごとく、人の失敗を叩く、
成功者の没落をあざ笑う、人と人が争う姿を楽しむ、
残酷なシーンに対する快楽、攻撃的な感情…
即ち、其れ『鬼』也
『生』を奪う行為 鬼にならねばできません。
だから我々猟師のことを
『叉鬼(マタギ)』と言うのではないかと思っています。
個人的な解釈ですが…
もっとも、私自身も鬼の姿を人にはあまり見られたくはありません。
鬼の行為を、 誰かのエンターテイメントの為になることだけはご容赦ください。
僕も人ですから…
ただ、くどいですが、伝えることは致します。
今後、有り得難くも、
取材などのお声がけを頂く場合はこの点、ご考慮頂ければ幸いです。
ワンさまニャンさま店主 樋山太一
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